彼の人と共にあった天鵞絨1 堀辰雄

今回より、「彼の人と共にあった天鵞絨」と題して、歴史的著名人の天鵞絨にまつわるエピソードを隔週金曜日に配信致します。様々な彩りをもつ、人物達と天鵞絨の世界を、多くの方に楽しんで頂ければ幸いです。
第1回目の「彼の人」は堀辰雄です。どうぞお楽しみください!

奈良ホテル外観©2020 奈良ホテル

奈良ホテルは1909年(明治42年)に創業し、国賓や皇族が宿泊される迎賓館に準ずる施設としての歴史もある、伝統のあるホテルです。その奈良ホテルのメインダイニングルーム「三笠」に創業当初から飾られてきた作品があります。写真の「竜田紅葉」と「(きじ)」です。これらがビロード友禅だと判明したのは2017年のこと。千總ちそう文化研究所の調査によって明らかになりました。

ビロード友禅作品「竜田紅葉」©2020 奈良ホテル
ビロード友禅作品「雉」©2020 奈良ホテル

ビロード友禅とは、白地のビロードに友禅染をほどこし、染めの模様に合わせてビロードの輪奈(わな)を切って毛を立たせる切ビロードの部分と、輪奈をそのまま残す輪奈ビロードの部分を作り、それらを組み合わせることで、立体感ある写実的な表現が可能となった染織物です。1878年(明治11年)に京友禅の老舗である千總()が考案しました。それまでの天鵞絨の柄表現は紋織によるものがほとんどでしたので、染めによって繊細な表現がなされたのは初めてのことでした。1900年(明治33年)にはパリ万博でビロード友禅双幅とビロード友禅屏風が入賞。それを機に海外でも高い評価を受けることとなり、西洋諸国に対抗しようと殖産興業施策を打ち出していた明治政府にも大変歓迎されていたようです。

奈良ホテルがこれらのビロード友禅作品を購入したのが開業1年前の明治41年だったことからも、奈良ホテルが一流品で世界各国の賓客を迎えようとしていた心構えが感じられます。

現在のメインダイニングルーム「三笠」©2020 奈良ホテル
約100年前のメインダイニングルーム「三笠」。左奥に「竜田紅葉」が確認できる。©2020 奈良ホテル

奈良ホテルの宿泊客には、エドワード英国皇太子、アルベルト・アインシュタイン、ヘレンケラー、オードリー・ヘップバーンと名だたる著名人がいましたが、その中でも4度も奈良ホテルに長期宿泊をするほど、奈良ホテルを愛した人物がいました。堀辰雄です。

堀辰雄は1904年(明治37年)生まれの小説家で、代表作には『風立ちぬ』『菜穂子』などがあります。彼の初期作品の舞台の多くは軽井沢なので、奈良のイメージをもっている方は少ないかもしれません。

堀は関東大震災で母を失い、その心労から不治の病とされていた肺結核を患うこととなり、彼の作品はおのずと生死をテーマとしたものが多くなります。昭和10年には当時の婚約者・矢野綾子を肺結核で失ってしまい、綾子への鎮魂の思いで『風立ちぬ』を書きあげます。そのあとがきに堀はこのように書いています。「春になり、それまで張りつめてゐた自分の気もちが急に弛むと、私は何かいひしれぬ空虚な気もちに襲はれ、それから脱れるために、ひたすら心を日本の古い美しさに向けだした。」
このころから堀は『伊勢物語』などの王朝文学や「万葉集に読みふけっているうちに一聯の挽歌に出逢い、ああ此処にもこういうもの(レクイエム的なもの)があったのかとおもいながら」「(しず)かに古代の文化に心をひそめるようになり」「いつしかまだすこしも知らない大和の国に切ないほど心を誘われるようになって」ゆきます。(『大和路』からの引用)

堀が執筆した『大和路』は、奈良での滞在を随筆的にしたためた文章ですが「奈良ホテル」で滞在していた様子に関する文章もたくさんあります。
例えば「朝の食堂で」と題した文章には、「朝の食事をするまえに、大体こんどの仕事のプランを立てた。とにかく何処か大和の古い村を背景にして、Idyll 風なものが書いてみたい。そして出来るだけそれに万葉集的な気分を漂わせたいものだとおもう。」と、堀がホテルの食堂で新しい仕事の構想を巡らせている様子などが記されています。

さて、もしかするとこの食堂とは、あのビロード友禅の「竜田紅葉」と「雉」が飾られていたメインダイニング「三笠」であったかもしれない…そんなことを考えていると、幾つかの歌が思い出されてきました。

「ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(『伊勢物語』/『古今和歌集』/『小倉百人一首』・在原業平)

(きぎし)鳴く 高円(たかまと)()に 桜花(さくらばな) 散りて流らふ 見む人もがな」(『万葉集』・作者不明)

「あしひきの 八つ()(きざし) 鳴き響む 朝明(あさけ)の霞 見れば悲しも」(『万葉集』・大伴家持)

堀辰雄がメインダイニングルーム「三笠」のビロード友禅をみて何かを思ったかどうかは定かではありません。ですが、この二つの作品は、きっと堀辰雄を見守り、その美しさで彼を癒し、慰めようとしたのではないかと想像せずにはいられないのです。

《参考資料》
奈良ホテル https://www.narahotel.co.jp/
並木誠士 青木美保子 編, 京都 近代美術工芸のネットワーク, 思文閣出版, 2017