今回は天鵞絨美術館の北向かいにあります京繍巧房の貴了館をお尋ねしました。お出迎えくださいましたのは、先日京都市文化功労者としての表彰をお受けになられた、京繍の長艸敏明先生です。
取材依頼のお電話をすると「では20分後にどうぞ」とのお返事をいただき、そのフットワークの軽さにまず驚かされました。
インタビューをさせていただくつもりがいつのまにか弊社の経営コンサルティングの様相に。(笑)長艸先生の膨大なお話の中から、西陣とは、京都とはというお話や仕事感などたくさんの知恵を頂戴できるお話を抜粋して、お届けさせていただきます。
―今日はご多忙の中、ありがとうございます。
(手土産に弊社のビロード製コットンクリーナーをお渡ししました)
長艸:ビロード製の埃落としは、刺繍の仕事で糸くずや胡粉などを払い落とす時に、日常使いで愛用しています。
学生のころ、無線ビロードの生地を手術用のメスを研いで、カットするアルバイトをやってました。花の模様に輪奈ビロードの部分をカットして、カットしたところをブラシで起こして立ち上がらせる。切りビロードの部分だけが立体的に浮き上がって見える。そんな帯がよう売れました。ビロードとは、結構縁があります。
―さすが先生、生粋の西陣のお生まれ。生き字引でいらっしゃいますね。
長艸:いや生き地獄(笑)西陣から出ずにもうじき73年です。
―西陣から世界に京繍を発信し続けていらっしゃいます。大黒町とのご縁をお伺いできますか。
長艸:僕は、ここから西へ100メートルほどの所、千本寺の内の新猪熊東町の生まれです。次男として生まれたのですが、後を継いだのです。
大黒町に来たのは、仕事場が手狭になっていた折にここを薦めてくれる人があり、隣の渡文社長の渡邊隆夫さんからも誘われて、こちらへ引っ越してきました。隆夫さんは、ここを光悦村にしたいと言う熱い思いをお持ちでした。この辺り一帯着物屋さんの工場だったのをマンションにすると聞き、全部買われたのです。
―私もその話をお聞きし魂が震えました。
長艸:ここは西陣のど真ん中ですし、石畳で仕事場としては、良い環境です。
―今のご自宅、貴了庵も素晴らしい日本家屋ですね。京繡の教室もされています。
長艸:ほとんどが人生相談。(笑)でも、文化を引き継ぐためにやっています。取材受けたら学校でも公演でもどこにでも行きます。文化を伝えなあかんので色々お受けしています。
―今のお仕事についてお聞かせください。
日本刺繍は技術です。日本刺繍を使った製品を作っていくのが仕事です。
うちのなりたちは、父の兄弟が爪綴れや織物をやっていましたが、父は西陣の無地の生地に刺繍の加工を施す仕事をしていました。昭和の初め頃です。巧房には絵描きや職人がいっぱいいました。加工だけのものから沢山の美術本を参考にして図案から作成する自作の仕事もありました。押し入れ開けたら試作の失敗もんの山です。(笑)
今は祇園祭の大船鉾の同掛けの再現をしています。例えば費用として1億円もらったとして、8年間6人の職人を取られて、気を使って作品を仕上げるだけで、儲かることは余りありません。そやけど、疫病退散の神事の品。名誉なことで、させていただけるのが有り難い。自分の役目だと思ってさせて頂いています。
そやからそれ以外に仕事を持ってないとやっていけません。うちのお客さんはちょっと特殊です。宮家の方や、プライベートジェットで来られるような海外の方もいらっしゃいます。
僕はライフワークとして、飛鳥時代や慶長桃山時代の優れた作品の復元をしています。目的が経済だけでは人は付いてこないのとちがうかな。使命、そういうものをお持ちになると、自ずと回りだします。我が身、我が身言うてたら、あかんと思う。まず人の為にする。
―さすが先生、そこが最初にありませんとね。
―家業という考え方については。
長艸:刺繍に対する思いも、家内はまた違う。息子は息子で、皆それぞれ持っています。家業は、変わります。同じもんやって無いもん。時々の物です。続く続かないを含めて、どっちでもええと思う。今、生きている人が何をやりたいか、やっているかでないと。
―生きる原点ですね。
長艸:それの方が大事やと思う。
―身に沁みます。京都の文化継承についてお伺いします。
長艸:京都には、新しいことをどんどん推し進めながら、遊び・教養を押し詰めて文化的なモノづくりができる土壌があります。そやけど、中にいるもんは、おれは京都やと思うから、何を作っても京都なんやけれども、中にいては気付かない、外に出て初めてわかることがある。外から見た京都らしさを商品に乗せるから、売れる。他の地域から来た方々は京都の良いところを知っておられます。
―広い視野をもっていないと文化継承も難しいということですね。勉強になります。
―西陣の良いと思われる所をお聞かせください。
長艸:やっぱり、いけずの文化かなあ。西陣の奥さん達で『京都西陣イケズで明るい交際術』って本を出したはるけど、西陣の昔からの情というか、ものすごくよいもんがあります。それが、村の要素。隣近所のことを表には出さんと気持ちの中でものすごく大事にする。
(※お裾分けの際に「食べきれないので助けておくれやす。」等々、相手方に負担を感じさせない、傷つけない、さりげない気配りの文化を「イケズ」と定義されています。)
―おもんばかっていただいているのを常日頃から感じます。
長艸:惻隠の情ていうけど、町なのにそれがある。西陣は町でありながら、互いが互いを助け合う村のような付き合いを大切にしている。門掃除したり、水まいたり。それが西陣の土壌であり、ええところやと思っています。
下京、中京とまた違う。それが根付いてなあかんねんけど、だんだん薄情になってきました。正月15日の間に馴染みの所へは、挨拶に行く。昔は、お茶屋でもクラブでもみなのぞきにいってたもんや。今年も宜しくの挨拶。しばらく顔を見ないということは、「死んだはる」ってことで(笑)知らず知らずに誰が来て誰が去っていかはったかがわかる。町やのに村なんや。
常陸宮華子様、三笠宮彬子様も貴了館にお越し下さいましたが、町内の誉れやと隆夫さんが喜んでくれる。そう思ってもらえていることが嬉しいです。そういうとこに住んでたら気張らないかんということです。以上でございます。
―大変勉強になりました。本日はありがとうございました。
長艸:無理せん程度に。頑張って下さい。(笑)
《一般公開施設》
刺繍ギャラリー 貴了庵(要予約)
住所 京都市北区平野鳥居前町5
開庵時間 10:30~17時
入庵料 1000円(抹茶・お菓子付き)
休庵日 第2土曜、日曜、祝日
電話番号 075-200-4617(平日10時~17時)
長艸 繍巧房|京繍|日本京都府京都市北区平野鳥居前町 (nagakusa.info)
見学以外にも、一日体験コース・本教室・遊学コースなどあります。
詳しくはHPにてご確認ください。 ※大黒町の貴了館は、通常は公開しておりません。