天鵞絨の起源

人の営みに寄り添うように、織物の歴史があります。織物の歴史を紐解くとき、天鵞絨の出現は絹の発見を待たなければなりません。なぜなら、丈夫で細く長い経糸を必要とする天鵞絨にとって、天然素材では、絹しかその要件を満たす糸がないからです。

絹は、文献に記される遥に昔から、人によって生産されていたことが、明らかになっています。初期の絹織物としては、浙江省呉興銭の遺跡で竹籠の中から発見されたもので、炭素年代測定によると、これらの断片は紀元前2850~2650年頃の地層にありました。その中の一つは、平織りで、中国独自の蚕の絹糸で織られたことが判明しています。

天鵞絨の起源ともいえる一種のパイル・ブロケード(二色以上の色糸を用い、地織部分とは別にパイル状の浮き糸で模様を形成した織物)の最古は、湖南省の馬王堆まおうたい漢墓で発見されたもので、紀元前170年~145年頃のものと思われます。

馬王堆漢墓は、前漢初期の時代に長沙国の丞相じょうしょうを務めて初代(たい)(こう)となった利蒼とその妻子を葬った墓です。利蒼の妻・辛追は外見から内臓まで生前そのままのような姿で埋葬されており、また墓には大量の貴重な副葬品も残っていたことで、馬王堆漢墓は有名になりました。

辛追の墓には、化粧品や楽器、食器など彼女の生前を彷彿とさせるような様々な物が埋葬されていましたが、その中には100を超す絹織物や、絹の衣服もありました。紗織で、無地のものがほとんどでしたが、天鵞絨の先駆けのようなものがその中にあったのです。経糸を浮かせる技法で、小さな幾何学的モチーフをくり返す文様が入れられていたり、雲海、枝さんご、渦巻き、うねる波、鳥、動物、そして神獣などの意匠が施されていたのでした。

また、馬王堆漢墓の別の遺跡からは、15点の天鵞絨の先駆けのような毛羽立てた多色の経糸を使った絹織物が出てきており、そのうちの12点は、外衣の縁飾りでした。

これらはおそらく、腕の良い織り手が素朴な織機で、パイルとなる糸を手作業で引き上げながら織ったのではないかと想像されます。それはこの時代においては革新の技であったことでしょう。

紀元前から今に至るまで、美しいもの、未知のものへの憧憬が、職人達の探求心と情熱をくすぐり続けているのでしょう。

《参考文献》
フィリッパ・スコット, 世界の絹織物文化図鑑, 柊風舎, 2007